パシフィックシンフォニーの夜コンサートに行ってきました!!
ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini)の「蝶々夫人(Madame Butterfly)」です。歌はイタリア語で、英語の対訳が上に写されていました。
去年の魔笛と同様、セミ・ステージ・オペラです。つまり、歌手もオケもステージ上にいるのです。
蝶々夫人 あらすじ
開演1時間前、クラシックラジオKUSCのアラン・チャップマンによる解説を聞きました。
アランは昔、オペラのストーリーの複雑度を測る単位がないことに気づき、「バタフライ」を提案したらしいです。もちろん、蝶々夫人(マダム・バタフライ)が1バタフライになりますが、もっともシンプルなお話だそうです。
第1幕のあらすじは「アメリカ海軍の軍人ピンカートン(Pinkerton)が日本に滞在中、芸者の蝶々さん(Cio-Cio-san)と結婚することにしました。蝶々は本気だが、ピンカートンは本気じゃない。ピンカートンはアメリカに帰ったらアメリカ人の女性と結婚することになっていた。」
以上!!
これが1バタフライ分の複雑度です(笑)。
第2幕は3年後、ピンカートンはすでにアメリカに帰っていて、蝶々さんは使用人のスズキ(Suzuki)と暮らしています。結婚斡旋屋のゴロー(Goro)は蝶々さんにヤマドリ公爵(Prince Yamadori)と結婚するようにすすめています。日本では捨てられた女は離婚されたと同じ、と言うが蝶々さんは「アメリカでは違う」と反発します。長崎のアメリカ領事シャープレス(Sharpless)がピンカートンから真実を伝えるように手紙を託されるが、最後まで伝えることができないし、蝶々さんがピンカートンの子供を産んでいたことも発覚する。蝶々さんがピンカートンの軍艦が港に着くのが見え、夜通し待っているところで第2幕は終わります。
第3幕が終幕です。ピンカートンはアメリカの奥さん、ケイト(Kate)を連れて、シャープレスと蝶々さんの家につきます。蝶々さんは状況を理解して、子供をケイトたちに引き渡すことを決意。最期は父は切腹に使った刀で自害します。
オペラではめずらしく、ソプラノ(蝶々さん)がメゾソプラノ(ケイト)に負けることになります。
蝶々夫人 アリア
蝶々夫人は有名な割にはあまり知っているアリアがありませんでした。
一番有名なのは第2幕の頭に出てくる「ある晴れた日に(Un bel dì vedremo)」でしょう。蝶々さんが歌う、ピンカートンが帰ってくる日を期待した美しいメロディです。
視聴できます!!⇒ディスク2の2番です
印象に残ったのは第1幕、ピンカートンとシャープレスが歌う「ヤンキーは世界のどこへ行っても(Dovunque al mondo)」。アメリカの国歌「星条旗」からも4小節借りていますが、当時はまだ国歌ではありませんでした。このモチーフはほかの箇所でもアメリカを強調するときに使われています。ちなみに歌自体は、ピンカートンのプレイボーイぶりを歌っています。オペラとはこういうものです(笑)!!
もうひとつ、第2幕から第3幕に移るハミングコーラス(Humming Chorus)。名前のとおり、ハミングと弦楽器からなりますが、3、4分で一夜の時間の流れを表現していて面白いです。
視聴できます!!⇒ディスク2の14番です
蝶々夫人 豆知識
プッチーニがこのオペラを書くきっかけは「トスカ(Tosca)」のイギリス初演でした。その時、デーヴィッド・ベラスコ(David Belasco)の劇を見て感激。英語も話せないプッチーニは即座にデーヴィッドにオペラ化させてくれ、と頼んだそうです。トスカ自体はロンドンの評論家にボロクソに批判(イタリア音楽はイギリスから出て行け!!)されました。
デーヴィッドの劇はジョン・ルーサー・ロング(John Luther Long)の短編小説からきています。そしてジョンのはフランス人、ピエール・ロティ(Pierre Loti)の本から来ています。これは自伝の形を取っていたので、実話の可能性はあります。
このように、日本⇒フランス⇒イギリス⇒イタリアと渡って作られたオペラなわけです。
まとめ
日本が舞台の有名なオペラですが、今回初めて見ました!!
蝶々さんの家にテレビがあったり、歴史背景とか合っているの?という疑問はありましたが楽しめました。